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京都地方裁判所 昭和44年(わ)1141号 判決

被告人 井汲三郎

昭二二・五・一六生 学生

主文

被告人は無罪。

理由

第一  本件公訴事実の要旨は、「被告人は、昭和四四年一一月一三日社会党京都府本部所属の大湾宗則主催のもとに学生ら多数が、一一・一三政治スト貫徹、一一・一七佐藤訪米阻止を標榜し、京都市東山区円山町官有地円山公園から同市中京区御池通河原町所在の京都市役所前に至るまでの間において、集団示威行進を行なうにあたり、京都府公安委員会より、道路上でジグザグ行進するなど一般の交通秩序を乱すような行為をしないことという許可条件が付けられていたのに、約八〇名からなる同デモ隊の第三梯団が右条件に違反して同日午後七時二分ころから約二分間にわたり同市東山区東大路通四条交差点付近においてジグザグ行進を行なつた際、右梯団隊列先頭部列外でデモ隊に対面し、スクラムを組んでいる右隊列先頭員の腕を掴み後退しながらこれを引張るなどして、同梯団のジグザグ行進を誘導し、もつて前記許可条件に違反した集団示威行進を指導したものである。」というのであつて、(証拠略)を総合すれば、右訴因の外形的事実はほぼこれを認めることができる。

第二  被告人の前示行為は、昭和二九年京都市条例第一〇号集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例(以下、単に京都市条例という)第六条第一項但書に基づく許可条件に違反して行なわれた集団示威行進を指導したものとして、同条例第二項の罪の構成要件に該当する形態を具えていることはその規定の趣旨に徴して明らかである。

しかしながら、その行為は、以下に説述するとおり結局罪とならないものと判断する。

(一)  集団示威行進が、表現の自由の一形態として、憲法上保障された基本的人権の構造体系の中でも優れて重要な地位を占めるものとして尊重されなければならないものであり、したがつてこれを規制するにしても、必要かつ最少限度にとどまるべきであることは、後に弁護人の主張に対する判断(一)において詳述するとおりである。

(二)  そこで、本件で問題とされている許可条件違反の罪を念頭に置きながら、このような集団示威行進を規制の対象とする京都市条例を、道路交通法との対比において検討するに、まず、京都市条例は、集会、集団行進または集団示威運動(以下単に集団示威行進という)が公衆の生命、身体、自由または財産に対して直接の危険を及ぼすことなく行なわれるようにすることを目的とし(第一条)、原則として、集団示威行進を行なおうとするときは公安委員会の許可を受けることを要し(第二条)、公安委員会は集団示威行進の実施について所定の申請があつたときは、その実施が、公衆の生命、身体、自由または財産に対して直接の危険を及ぼすと明らかに認められる場合以外はこれを許可しなければならず、その許可をする場合には、交通秩序の維持に関すること等所定の事項に関し必要な条件をつけることができ(第六条第一項)、この許可条件に違反して行なわれた集団示威行進の主催者、指導者または煽動者は六月以下の懲役もしくは禁錮または三万円以下の罰金に処する(第九条第二項)旨規定している。

一方、道路交通法は、道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図ることを目的とし(第一条)、同法第七七条第一項第一号ないし第四号において、所轄警察署長から道路の使用許可を受けなければならない場合を定め(同項第四号の委任立法として制定された昭和三五年一二月一五日京都府公安委員会規則第一三号京都府道路交通規則第一四条第(3)号により、道路における集団示威行進は右の使用許可を必要とするものと規定されている)、所轄警察署長は、右の道路使用の許可をする場合には、道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図るため必要な条件を付することができ、また特別の必要が生じたときには、前に付した条件を変更しまたは新たに条件を付することができ(同法第七七条第三、四項)、右の条件に違反した者は三月以下の懲役または三万円以下の罰金に処する(同法第一一九条第一項第一三号)旨規定している。

右によれば、京都市において道路上で集団示威行進を行なおうとする場合は、京都市条例と道路交通法の双方による規制を受けることとなるのであるが、これらの立法の目的、趣旨に鑑みると、京都市条例は、公衆の生命、身体、自由および財産をもつてその保護法益とし、道路交通法は、もつぱら道路における交通の安全と円滑をもつてその保護法益としていることが看取され、その性質上、前者の保護法益が後者のそれよりも比較的重大であることが認められる。このことから、その法定刑についても、右の保護法益の軽重の差に比例して、前者の刑が後者のそれよりも重く定められているものと推測される。(ちなみに、両者の法定刑にこのような差異がもうけられたことは、それらの保護法益等に比照して毫も不合理のかどはなく、したがつて、京都市条例の規定が、弁護人の主張するような地方自治法第一四条第一項に違反するものとは解せられない。)

このように、集団示威行進そのものは憲法上保障された重要な権利であつて、その規制は必要最少限度にとどまるべきものと解せられること、京都市条例は、単なる交通の安全、円滑等ではなく、公衆の生命、身体、自由および財産をもつてその保護法益としていること、したがつて、その差異からこれを合理的にみて、同条例による許可条件違反の罪の法定刑が、道路交通法における交通秩序に関する同種の違反行為による罪のそれに比して重く定められているものと推測されることなどの諸点を総合して考察すると、同条例第九条第二項の規定の趣旨は、同条例第六条第一項但書による許可条件に違反して行なわれた集団示威行進を指導した場合に、それが、およそ公共の安全に対して抽象的に危険を及ぼすおそれがある行為としての評価を免れ難いとはいうものの、右の行為のすべてに刑罰をもつて臨もうとするにあるものというべきではなく、その集団示威行進の規模、態様ならびに公衆に与えた影響等の具体的事実を総合的に観察し、かつ、いわゆるデモの内包する本質に鑑みて、その違法性が極めて軽微で社会通念上容認された相当性の評価に耐えうるものとみられる場合には、右の指導者の行為は可罰的違法性がないものとして罪とならないものと解すべきである。

(三)  これを本件についてみるに、(証拠略)を総合すると、

(1)  被告人の指導した本件第三梯団によるジグザグ行進(以下単に本件ジグザグ行進という)は、前記東大路通四条交差点(T字型三叉路)の北側円山公園登口付近から同交差点西側横断歩道付近に至るまでの約四〇メートルの間において、約二分間にわたつてなされたものであるが、その態様等の状況をみるに、右は、約八〇名の第三梯団の学生らが、四列縦隊の隊列のまま、角材、竹竿等の物体を携帯することもなく(ヘルメツトは、僅か二、三名着用していたことが推認される)、互いに腕、肩等を組むなどして、被告人の誘導で、歩くよりはやや早い速度で、スローガンを叫びながら約六回くらいジグザグ行進をしたものであつて、最初東大路に入つたころの右ジグザグの振幅は、ほぼ車道一杯くらいに及んでいたが、右交差点内に入るころには、その振幅も次第に小さくなり、交差点内においては、東大路通から四条通に右折する市電軌道敷の外側(南および東側)にはみ出さない範囲内で、交差点北西角に沿つてジグザグ行進がなされ、同交差点西側横断歩道付近で西方へ直進する状態に戻り、そのまま四条通北側車道に抜けたものであること。

(2)  同日のデモ行進においては、被告人らの第三梯団の前方に先行する第一、第二梯団があつて、これらの梯団もまた右の区間でジグザグ行進を行なつており、被告人らの本件ジグザグ行進はその後を追うような形でなされたものであるが、右第一梯団の先頭が右交差点に進入してから、第二梯団に続く被告人らの第三梯団が同交差点を通り抜けるまでに要した時間は約四分間であり、その間、同交差点の信号機は手動式に切り換えられ、デモ隊の進路である東西の信号は終始「青色」に保たれていたうえ、同交差点では警察官による交通整理も行なわれていたこともあつて、右のデモ隊が通過している間に交差点内で停滞していた車輛は存在しなかつたこと。

(3)  右の四分間東大路の南北の通行が遮断されたため、同交差点の北側には約一〇〇台(南行)、南側には約一五〇台(北行)の車輛が停滞したが、右の停滞は被告人らの第三梯団が東大路を渡り終つた直後の約二分間で全部解消したこと。また、被告人らの第三梯団を含む右デモ隊が、そのジグザグ行進中に、通行人や通行車輛と接触して紛争を起こしたり、あるいは警備中の警察官と衝突するなどのことはなかつたこと。

等の事実が認められる。

されば、これらの事実に照らして勘案すると、本件ジグザグ行進は、その規模、態様、当時の交差点における交通状況等から推して、比較的穏やかに行なわれた部類に属するものということができ、被告人ら約八〇名の第三梯団員が徒らに気勢をあげ、そのために集団自体の自己統制力に弛緩を生じ、通行人や通行車輛と接触、衝突するなど無秩序または暴行等の越軌行動にまで発展するおそれがある状態ではなかつたことが認められるから、これに、被告人の本件ジグザグ行進を誘導した行為の形態、勢威等が特に強い刺激を与えたとは認められない点をも考え合わせれば、被告人の本件行為は、その違法性が極めて軽微であつて、さきに詳述したいわゆる可罰的違法性を欠く場合に該当するものと認めるのが相当である。

(四)  以上の理由により、被告人の本件行為は、結局罪とならないものというべきであるから、刑事訴訟法第三三六条前段に則り、被告人に対して無罪の言渡をする。

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、前叙関係事項以外にも違憲等の主張をしているので、その主要な点についてつぎのとおり判断する。

(一)  弁護人は、集団示威行進は、思想の表現手段としてのみならず参政権の行使の意味をも有するものであつて民主主義社会にとつて不可欠のものであり、憲法第二一条に規定する表現の自由の保障を最大限に享受すべきものであるところ、京都市条例は、その第二条および第四条において公安委員会の事前の許可を要するとして集団示威行進に対して事前規制を加え、第八条において警職法に規定する以上の即時強制権を警察官に与えているのであつて、同じ憲法上の権利として保障を受け、その表現形式として同様の内容をもつ争議行為と比較しても、集団示威行進を不合理に制限するものであるから、憲法第二一条に違反すると主張する。

案ずるに、京都市条例を含むいわゆる公安条例における集団示威行進を規制の対象とする諸規定が、憲法第二一条の規定に違反するか否かについては、夙に議論の存するところであり、京都地方裁判所においても、京都市条例違反被告事件について、累次にわたる判決で、これらの諸規定が憲法第二一条の規定に違反する旨判示しているのである。(昭和四二年二月二三日言渡、下級裁判所刑事裁判例集第九巻第二号等参照)

しかるに、最高裁判所は、同四四年一二月二四日の大法廷判決で、「このような内容をもつ公安に関する条例(京都市公安条例)が憲法二一条の規定に違反するものでないことは、これとほとんど同じ内容をもつ昭和二五年東京都条例第四四号集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例についてした当裁判所の大法廷判決(昭和三五年七月二〇日言渡)の明らかにするところであり、これを変更する必要は認められない」旨判示し、ここに合憲と明認するに至つたのである。

おもうに、集団示威行進は、前記京都地方裁判所の判決が詳述しているように、それが表現の自由の一形態として、思想等の自由な交換を不可欠の要素とする民主制社会機構のもとでは、憲法上保障された基本的人権の構造体系の中でも、優れて重要な地位を占めるものとして尊重されなければならないと解すべきであるから、集団示威行進を規制するにしても、それは必要かつ最少限度にとどまるべきは多く異論のないところである。(最高裁判所大法廷昭和三五年七月二〇日判決参照)したがつて、このような趣旨に鑑みると、集団示威行進を規制するのに許可制を採用している京都市条例については、その規定に徴してうかがいうるように、たとえ、許可を本則とし不許可をできるだけ制限しようとしていると解せられるにしても、公安委員会の裁量にまかされている許可基準が、抽象的でかつ不明確とのそしりを免れえないことや、右裁量の恣意的な危険性に対する有効適切な救済措置が講じられていないことや、同条例が許可制と届出制(京都市条例第三条参照)を別異の概念としてとり入れ、許可制をもつて実質的に届出制と変らないものとは解し難いこと等に照らして考察すると、その合憲性を肯定するうえにおいても、基本的人権の真義に立ちかえり、さらに深く思索をかさね、慎重に検討を要すべき諸点のあることを、全く否定し去るわけにはいかないものと信ずるのであるが、今や最高裁判所は、前記のように、昭和四四年一二月二四日の大法廷判決において、京都市条例の集団示威行進の規制の対象とする諸規定が合憲であると判示したのであるから、将来これと異なる判断をしなければならない特段の事情が新たに発生したと認められない限り、現行の裁判制度における基本的構造と法的安定性の確保の見地から、右大法廷判決を判例として尊重し、その趣旨に従うべきものと考える。

ただ、当裁判所としては、公安委員会の権限濫用による危険性が絶無でないことを憂慮するのであるが、この点については、前記大法廷判決が、その基準とされた最高裁判所昭和三五年七月二〇日の大法廷判決中に、とくに、「その運用如何によつては憲法二一条の保障する表現の自由の保障を侵す危険を絶対に包蔵しないとはいえない。条例の運用にあたる公安委員会が権限を濫用し、公共の安寧の保持を口実にして、平穏で秩序ある集団行動まで抑圧することのないよう極力戒心すべきこともちろんである。」と説示された趣意とその効果に多くの期待と信頼をおきながら、京都市条例における集団示威行進を規制の対象とする諸規定は、前記判例の趣旨に従い憲法第二一条の規定に違反しないものと判断する。

弁護人の主張はこれを排斥する。

(二)  弁護人は、公安委員会による本件許可は、京都府公安委員会会議運営規則(昭和三〇年六月一四日京都府公安委員会規則第一二号)第一〇条により、いわゆる「持廻り審議」なる形式によつてなされたものであるが、右審議は同条の要件を充足しない違法な手続によるものであるから、右許可は無効であると主張する。

案ずるに、右運営規則第一〇条は、「緊急事態その他臨時緊急の必要があると認める場合において、会議を招集することができず、または会議を招集してもこれを開くことができないと認めるときは、京都市内に現在する委員は第二条の規定にかかわらず委員会の権限を行なうことができる」旨規定している。

そこで、まずその緊急性について考察するに、京都市条例第四条によれば、集団示威行進の主催者は、これを行なう日時の七二時間前までに、その許可申請書を、開催地を管轄する警察署を経由して公安委員会に提出しなければならず、同第六条第二項によれば、公安委員会は原則として集団示威行進を行なう日時の二四時間前までに、主催者または連絡責任者に許可状を交付しなければならないこととなつている。ところで、右運営規則第四条によると、京都府公安委員会は、定例会議を毎週一回定例日時に開くものとしているところ、本件にあつては、昭和四四年一一月一三日(木曜日)に行なう集団示威行進について、主催者はその許可申請書を同月一〇日(月曜日)に提出したことが明らかであり、当時右定例会議は毎週木曜日に開かれていたことが認められるから、前記の規定の趣旨ならびに処理手続等に照らして、右の許可申請を次期定例会議に付議するいとまのなかつたことが明白である。したがつて、右の許可申請については、その行動日時との関係からみて、まさに臨時緊急に処理する必要のある場合にあたるものということができる。

つぎに、京都府公安委員会が右許可申請を付議するにつき、臨時会議を招集することができない場合であつたか否かについて考察するに、公安委員は一般に非常勤であり(地方自治法第一八〇条の五第五項)、本件当時同公安委員会を構成していた五名の公安委員についてみても、医師二名、会社々長二名、弁護士一名であつて、それぞれ定職を有し多忙な日々を過ごしていたことが推測されるのであつて、しかも、そのころの同公安委員会に対する集団示威行進許可申請書の提出は、年間約一一〇〇件もの多数に及んでいた実情に照らせば、本件許可申請書提出の日時から、所定の手続を経て、許可状を主催者に交付しなければならないものとされている当該行動日時の二四時間前までに許可状を主催者に交付する僅か二日間内に、同公安委員会が臨時会議を招集して定足数の公安委員の出席を求め、これを審議することは実際上極めて困難な状況にあつたものというべく、右はまさに臨時会議を招集することができない場合にあたるものと認めるのが相当である。

されば、本件許可申請についてした審議は、その方式において右運営規則第一〇条の要件を充足し、なんら違法のかどは認められないから、本件許可はもとより有効といわなければならない。

弁護人の主張はこれを排斥する。

よつて、主文のとおり判決する。

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